★Fママ殿、相馬市の実家帰省;松川浦と相馬港の様子 & 愛犬トリニティ、どじゃぶり★
2011-08-26


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この度の東日本大震災、 被災地で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、またご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。


そして長い道のりになるかと思いますが、皆様が安心して過ごせるように、1日も早い復興を切に願ってやみません。


みなさん、おばんですなの。私トリニティ、トリチャモランなの。

こちらこちらは「ちょっと定住?放送局」なのなの。

パパ殿、高知県へ出張中。

午後3時頃から、雲行きが怪しく、土砂降り、ゴロゴロ雷なって、私トリニティは、大きな雷さんに、「ワンッ!」と吠えてしまったなの。

今日は夜のお散歩はなしで、お家でおトイレ。

パパ殿、無事に帰って来きましたが、ほとんど乗り物酔いで具合悪くダウン状態。2時以上遅延したみたい。お疲れ様

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今日は、8月13日土曜日に宮城県丸森町から、相馬市の沿岸部にある松川浦と相馬港に車で行って来ました。

一番酷い地域だったのですが、今後相馬市がどのように復興し、新しい町を育てていくのか、ママ殿が生きている間見られたら非常に勉強になると思い写真を撮りました。


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車の中から写真を撮影し、母上様から『車から降りようか?』とも言われたのですが、とてもその場で感情を押し殺す事はできなくなってしまうので、車の中でできるかぎり見て、収めました。<BR>
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ママ殿の実家から浜の方には、子供の頃数回行ったきりで、一人では行った事はありませんでした。

ロシア船がよく来ていたり、北朝鮮関連の噂話があったりしたので、一応ママ殿も女の子だったので、今回程ゆっくり全体を見るには初めてだったかもしれません。


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道路は、震災直後の様に瓦礫が散乱していたり、積み重なっていたりと言うのはほとんどなく、静かな空間だけがポツポツ存在していて、人の影がほとんど見られず、車だけが移動しているだけでした。


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姪っ子も下を向いて暗くなってしまい、母上様は震災直後辺りから恐らく精神的・肉体的に限界がピークになり、人前に出る事ができず、パニック症候群になっていたみたい。

今回、仙台に迎えに来てくれて、食事にでかけたり、被災地の酷い所にも行けるようになったのは、少し体調が良くなったからだそう。

実はママ殿も、震災後1カ月は家の中にいて、悶々として体調も良くなかった事を考えると、被災地で頑張っておられる方は、本当に言葉に言えないくらい辛いと思います。

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広範囲に広がる地震の被害。

あの海の向こうには、津波で流して欲しくなかった・・・時間も戻して欲しいと思うママ殿でした。

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道路は所々、直しているものの、デコボコしている部分があり、ゆっくり走行した方が背骨、腰、首にかかる負担が少なくなるので、良いと思います。


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道を奥の方に進んでいくと、だんだん酷い状態が分かって来て、家自体もほとんどなくなって、地震以前の状態の街並みが載っているブログを拝見するとその差が分かりました。


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[COME COME TRINITY 2011]
[ママ殿実家相馬市の様子]

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